【監督対談vol.3】仕事と両立しながら記録を伸ばす市民ランナーから、学生が学べることは多い!/保科光作(慶應義塾体育会競走部ヘッドコーチ)×町野走一(頂プロジェクト監督)

特集 監督対談

頂プロジェクトの町野監督と長距離チームの監督対談の第三弾では、慶應義塾大を訪ねました。2017年より体育会競走部長距離専任コーチに就任した保科光作ヘッドコーチは、日本体育大を経て日清食品グループで選手や指導者としても活躍した実績をお持ちです。慶應義塾大では保科ヘッドコーチを迎えると同時に「慶應箱根駅伝プロジェクト」と銘打った、長距離種目強化の取り組みも開始しています。文武両道を掲げる伝統校の環境は、仕事とランニングを両立させている市民ランナーにも通じるところがあり、興味深い対談となりました。

慶應義塾での指導は選手にやらせるところ、こちらが締めるところのバランスが鍵です(保科) 自分の成功体験が相手に響くタイミングというのが重要そうですね(町野)

町野 :  今日はよろしくお願いします。実は保科監督とはもう10年ほどの付き合いになるんですよね。現役のときにうちの治療院に来ていただいて、トレーナーとして私が治療にあたったんです。そこから関係が深まり、日清のチームにも行かせていただいたりしていました。現役を引退されたあとは日本体育大や日清食品グループの陸上競技部を経て、2017年から慶應義塾大で指導されていて、今もときおりいろんな相談をいただいている仲です。慶應義塾での指導はいかがですか?

保科 :  何もないところからのスタートといってよく、今も試行錯誤しています。私がここに来たときの選手たちは、もしかしたら市民ランナーよりも走ってないくらいでした。だからかなり自分の経験とは差があって、最初は自分が間違いないと思ってしていた指導も、選手に対してはすべて押し付けになっていたことに次第に気づきました。自分の成功体験を元にした目標や取り組み方法がチームに、あるいは選手にそのままフィットするかといったらぜんぜんでした。

町野 :  最初は保科イズムを全面に押し出してやらせてみたけれど、上手くはまらなかったんですね。

保科 :  そうですね。例えばこの練習をやっておけば間違いないというような感覚が、私の経験値からはある訳です。でもそれをそのまま選手にやらせようとしても上手くいかないし、思いも伝わらなかった。というのも、最初に自分が立てていた目標や取り組みといったことは、チームの目標というよりは僕の目標だったんです。そこについてこられたのは、今年の箱根で関東学生連合に選抜された1人ぐらい、というのが就任1年目でした。最初は私もどうしてうまくいかないのか理解できず、しばらく経って振り返ってみて分かったんですが。

町野 :  モチベーションのコントロールなども難しかったということでしょうか。伝え方も考えないといけないのでしょうね。保科さん自身、素質があって努力もできるすばらしい選手だったし、これとこれができれば絶対できる、とご自身の経験からいえる部分があるのはよく理解できます。ただ誰もが保科さんレベルの選手ばかりではないので、伝える難しさというのがあるでしょうね。

保科 :  自分の成功体験をいつ、どのタイミングで選手たちにぶつけると響くのかというのは、今もまさに考えながらやっていますね。初年度の反省を踏まえ、今は選手に伝えたいことが伝わるような段階に達するまでは、選手自身で考え、動いてもらえるようなサポートをしていく方向にシフトしてきました。やはり選手たち自身もいろんなプロセスを経ないと理解できないし、こちらから言うだけでは伝わらないですね。

町野 :  その方法にシフトして、うまくいっているのでしょうか?

保科 :  バランスが難しいですね。実力がない人に自分で判断する裁量を与えてしまうと、簡単に逃げ道を作ってしまいがちです。2年目に悩んだのはそこで、3年目以降は締めるところと開放するところの最良のバランスはどこか、考えながらやっています。今はようやくそのバランスの取り方が見えつつあるのかなと思います。

町野 :  意欲はあっても人は弱いから、楽な方に流れてしまいますよね。一般ランナーでもジョグと流しのメニューを与えた場合、ジョグのペースがフィットしているかどうかを本人に任せてしまうと、良くなかったりします。指導する側がどこまで準備してあげるかという難しさは、私も分かる部分があります。

対談の様子

箱根駅伝の出場を目指したプロジェクトを推進しています(保科) 自分たちで強化費を集めるのが、一つの特徴ですね(町野)

町野 :  慶應義塾は箱根駅伝の第1回に出場した4校のうちの1校で、出場30回、総合優勝1回の伝統校ですが近年は出場できていません。2017年に創部100周年を迎えたのを機に保科さんを長距離コーチに迎え、「箱根駅伝プロジェクト」が立ち上がりましたが、これについて教えていただいていいでしょうか。強化費の寄付もサイトで募っておられますね。

保科 :  学内ラボとの研究やトレーナーやメディカルサポートの強化など、プロジェクトにはさまざまな施策があります。強化費についてなんですが、慶應義塾の体育会は基本的に自分たちで強化費を調達します。方法ですが、まず企業にサポートしていただき、現場を使った共同研究で何らかの業績を上げるという方法があります。もう一つは一般の方からラッフルチケットという、一口1000円の福引チケットを購入する形で寄付していただき、合宿や遠征の費用に充てています。チケットを購入すると、プロジェクトを応援していただいている企業や団体等から提供していただいた商品の抽選ができます。これは少額でもいいので寄付をしたいという方たちに対して、何かを還元できるスタイルを考えた結果、アメリカなどでよく見られるラッフルチケットを選択しました。

町野 :  これは1年を通して購入(寄付)できるものなんですか?

保科 :  ラッフルチケットの購入を募るのは年に一度です。11月から翌年3月くらいまでの期間で販売して、それを来年度の予算に充てます。学生の部費は部の運営費に、OB会からの寄付などもありますが、合宿費用などは額が大きいのでそれだけでは足りません。だからこういう形でも強化のための活動費を集めています。

町野 :  企業からのサポートという点では、アスリートのためのアイテムのPRを考えている企業とマッチングできそうですよね。大学というと学校から強化費が出ているというイメージですが、活動費を自分たちで調達するというのは、自分の給料で活動している市民ランナーと近いものがありますね。
タイムなどを見せていただくと、取り組みの成果も徐々に出てきていると思うんですが、いかがでしょうか。

保科 :  学生たちは箱根に出る選手を見て「すごい」と言っている感じなので、まだまだですね(笑)。このプロジェクトは10年計画とは言われていますが、そんなにのんびりもしていられないと思っています。まずは私がスカウトした選手たちがそろそろ最上級生になるので、その時期が一つのチャレンジですね。今年は箱根駅伝に最初に出場したうちの1校である筑波大さんが同様のプロジェクトに取り組み、26年ぶりに箱根駅伝への出場を果たしました。それは学生たちも一つの希望になっていると思います。

慶應箱根駅伝プロジェクトのサイト https://hakone-pj.keio-tf.org/

市民ランナーの活動こそ、究極の文武両道だと思います(保科) 市民ランナーとの交流で役に立てるような企画をぜひやりましょう(町野)

町野 :  私はランニングを一つの文化として根付かせていきたいという思いがあり、ランニングクラブの運営もその一つとして行っています。保科さんは市民ランナーの動向を意識したり、どうなっていけばいいだろうと考えることはありますか?

保科 :  社会的に健康志向が高まっていますよね。ランニングは必要な道具は少なく、やろうとすると一人でもできるし、記録という明確な指標があるので取り組みやすいスポーツでもあると思います。市民ランナーとたまに話すと、昔は走るのが大嫌いだったという人が多いように思うんです。でも今は走ることにハマって、仕事が終わったあとに走りに行ったりしている。そういう人が増えてきて、その魅力は何なんだろうと思うことは多いですね。そこに可能性が大いにあるんじゃないでしょうか。自分は競技者だったので仕事が終わったあとに走りに行く発想はなかったので(笑)、とても新鮮な感覚です。

町野 :  普通の人でも仕事のあとに2時間とか走っていますからね。彼らの練習内容はまちまちで、距離を伸ばすタイプ、まんべんなくやるタイプ、あるいはランニングクラブなどに参加している人もいて、さまざまです。どれくらいの距離や強度を求めていくのが市民ランナーにはいいのか、慶應義塾での指導からいえることはありますか?

保科 :  市民ランナーの方は圧倒的に学生よりも走っていないはずですが、全体としてはパフォーマンスが上がっていますよね。それは学生らしくいうと、究極の“文武両道”なんですよ。仕事をやりながらパフォーマンスも上げるという。大学や実業団の陸上選手にとって、ものすごく参考になるところがあると思っています。逆に、そういう市民ランナーの方々がどういう生活をして、どういう練習をしているのかというのを、僕自身が知りたいなと思うところはあります。時間の管理など参考になるところが多いんじゃないかと。

町野 :  それは面白いですね。なかなかそう考える指導者は少ないかもしれません。確かにフルタイムで働く中で記録が上がっていくというのはすごい。自分もあまり気づいていませんでした。 我々のランニングクラブでのトレーニングではインターバルやレペティションのような強度の高いものも入れて、ロングの日もあるという形です。慶應ではどんな割合で練習していますか?

保科 :  今学生に課しているのは、距離でいうと1週間で160〜170kmです。最近はこの距離の中で強い(速い)数キロ、弱い(ゆっくりの)数キロをどう配分するかが見えてきたところです。割合としては全体の中でVO2を上げる練習は1割いくかいかないか、週のうちに15〜16kmですね。その他、全体の距離の中で50〜60%は、1kmだいたい4分のペースで心拍数が120〜140くらいになるような設定で走っています。残りはゆっくりのフリージョグです。

町野 :  それは参考になりますね。数値を言っていただけると個人でもメニューを組む目安になります。なかなか考えられたメニューだと思いますが、保科さんはいわゆる“昔ながら”の練習も好きなんですよね。現代の理論や理屈もわかっていながら、昔ながらの練習の良さをわかっているというのはある意味貴重かもしれません。バランスが難しいですし。

保科 :  昔ながらということなら、週末の練習がそれにあたりますね。まず慶應(日吉)から日産スタジアムまで9kmほどですが、そこまでアップで走っていきます。そこでBチームは20km、Aチームは25kmほど走って、終わるとまたそこから走って帰ってくるというものです。だからBチームでも38km、Aチームなら44kmほど走ります。

町野 :  まさに昔ながら、という感じですね。私の現役時代はそういう練習をしていました。フルマラソンかそれ以上走るのでかなりハードですね。

保科 :  そういう練習ってもう理論とかではないんですよね。でもそれをできるようにする事前の準備や取り組みこそが重要だと思っているんです。長い距離を走ることに対しての準備、終わったあとのケアについても覚えさせることに意味があります。トレーナーに準備とケアを見てもらうことも大事ですが、最低限は自分でやることなんだと、練習を通じて学生に伝えて、うまく行動変容に変えられればなと思っています。

町野 :  私の現役時代からの経験から見ても、準備やケアができている選手はやはり強かったです。今の選手たちに理由なく強制すると反発を受けると思いますが、考えて欲しいというところからの発想で取り入れているので説明しやすいですし、納得してもらえるんじゃないでしょうか。でもそう考えると、市民ランナーなんて週末は40kmとか60kmとか走ったりしますから、準備やケアが自然とできているといえるのかも。

保科 :  市民ランナーの方は気持ちが大きいというか、強いですね。この競技は理論理屈と同時に、どうやって自分のモチベーションを上げるかということがすごく重要です。考えて走ることは大事ですが、考えないで走るからこそ強い、というものもあるんです。慶應の学生はやる前にこれはどういう意味があるか、どういいのか、と考えるタイプが主流なのですが、勢いののままに走るような選手が出てくればもっと競争力も上がるはずです。市民ランナーは仕事で疲れているはずなのに自分を奮い立たせて走っている人たちなので、そういうことは市民ランナーから学べることだと思います。

町野 :  マラソンは気持ち8割とも言われる競技ですからね。頂プロジェクトの会員でも、ときにはやりたくない日があるという人はいます。でも練習会があると仲間がいて、みんなが走っているのを見ると、少ししんどくても頑張れると言いますね。ランニングクラブをそういうふうに使ってもらうのもいいかなと思います。
うちは楽しく走ろう、この目標に向けてやっていこうという形で指導していますが、市民ランナーは現役の大学生の選手と走れたりするとモチベーションアップになるんです。今の競走部は地域貢献のような取り組みはやっておられますか?

保科 :  他の部ではありますが、うちはまだ機会が持てていません。でも地域の方や市民ランナーとのふれあいは選手を育てると思います。例えばアドバイスって、聞くのは簡単だけど人に教えることって難しいじゃないですか。そういう機会が持てたら学生の成長が促されるはずです。お互いにとってもプラスαになると思うんですよ。

町野 :  確かにそうですね。じゃあ、それはうちでぜひ企画させていただきたいです。

保科 :  いいですね、ぜひ。やりたいとは思ってそこまでたどり着けてはいないので。

町野 :  今日のお話はゼロからの指導の基盤作りが興味深く、文武両道の考え方は市民ランナーに近い感覚でのお話が聞けて興味深かったです。慶應義塾の取り組みが実って箱根駅伝に出場できたら、ものすごくみんな応援したくなるんじゃないでしょうか。その日を心待ちにしています。ありがとうございました。

慶應大学グラウンド

Spoleteランニングクラブ 頂プロジェクト

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