【ランが人生を変えた「LIFEランナーズ」】東京マラソンへの当選で人生が変わった!走りを通して得た多くの出会いと喜び
何気ないきっかけで人生が変わる、そんな経験を誰しも一つは持っているはずです。スポリート読者の中にもランニングをはじめたことで人生が変化し、また豊かになった方は数多いのではないでしょうか。編集部ではそうした人たちのストーリーを通して、改めて走ることの楽しさを伝えたいと思います。まずご登場いただくのは結ばない靴紐「キャタピラン」をはじめ、スポーツや美容、ライフスタイル用品等を扱う株式会社ツインズの栢(かや)晴彦さん。ほぼ運動歴のないところから東京マラソンへの出場がきっかけでランニングに目覚めました。そこから仲間ができ、また仕事やパートナーとの出会いへとつながっていった軌跡の物語です。
「知っている場所がコースだったから」軽い気持ちで初応募した東京マラソンに当選
子どもの頃から運動らしい運動はしたことがないんです。マラソンをはじめたのは本当に些細なきっかけにすぎません。2008年の2月、テレビでやっていた東京マラソンの中継が目に留まりました。30km地点くらいで、いつもランチで利用している中華食堂が画面に映ったんです。「おっ、ここを走るんだ。だったら出てみようかな」と、急に親しみが湧いて自分も走ろうという気になりました。たったそれだけ。でも、それがすべてのはじまりでした。
気さくに応募したものの、それまでマラソンを走ったことはありません。しかも練習といっても1kmとか2km走るくらい。そんな状態で10月に当選通知が届きますが、初心者ですからどれほどすごいことなのか、重みもあまり感じていなかったと思います。本番までは5カ月弱。本格的に練習を、といいたいところですが、走ったり走らなかったり、距離もやっぱり1kmとか2kmで、やる気があるのかという(笑)。たまにちょっと長く走るくらいでしたね。ランニング雑誌が教科書代わりでしたが、そこに書かれた「10kmを走れたらハーフマラソンが走れる」「20km走れたらフルマラソンも」みたいな言葉を信じて、20kmほど走ったのが最長でしょうか。1kmのタイムは5分というところでしたが、それが速いか遅いかもわかりません。ただ、当時のフルマラソンの平均タイムは4時間30分ほどだと雑誌に載っていたので、それを切るのが目標でした。タレントの安田美沙子さんがマラソンをはじめた頃だったと思いますが、2008年12月のホノルルマラソンで4時間24分55秒を出したのを知り、「打倒・安田美沙子」と勝手に掲げて燃えていました(笑)。
数々の記録証。東京マラソンで記念に購入した手袋は今もレースで愛用中。
初マラソンの記録は4時間46分43秒 “打倒・安田美沙子”ならず「もう一度やろう」
こうして2009年3月22日、東京マラソンの日を迎えました。初の大会が東京マラソンなんて贅沢ですが、何も知らないので気楽でもありました。しかも最初は順調で、余裕があったんです。タレントなんかが出場していた短い距離のコースがありますが、そこで女子レスリングのメダリストたちや格闘家の魔娑斗さんなどいろんな有名人を見られたし、彼らを抜いていけたりもして気持ちが良かったですね。同僚も出場しており、会社の人が応援に来てくれていて、それも嬉しかったです。そんな調子で途中まで快調そのもの、目標もクリアできそうだったんですが、一つだけ誤算がありました。自分は立ち止まるとだめなタイプでしたが、そもそも最初から最後まで止まらず走り続けなければいけないと思い込んでいました。でもどうしてもトイレに行きたくてコンビニに立ち寄ると、そこからまったく足が前に動かなくなってしまったんです。息もそんなに苦しくないし身体的には行けそうなのに、足が出ない。あれはつらかったですね。結局、ゴールはしたものの記録は4時間46分43秒。もちろん安田美沙子さんには及びません。即座に「もう一度やろう」、と決意しました。このままでは終われないという気持ちでした。
すぐに次のレースを探し、ハーフを含めて大会出場を重ねていきます。途中で止まるという課題を少しずつ克服してそのうち走りきれるようになり、11月のつくばマラソンで4時間4分32秒と、目標をクリア。大会出場3度目のことでした。また、2010年1月の新宿シティハーフマラソンでは1時間31分というタイムも出ました。ただ、問題はその先です。記録が頭打ちになってしまったんです。
壁を越えるために練習会に参加 仲間と走るのは「楽しい!」
記録が伸びなくなって、「独学ではもう限界」だと痛感します。そこで、ネット上のコミュニティで練習会を探して参加することにしたんです。ここがマラソンを続けていく上で、また人生でも一つの転機になりました。
参加した練習会はコーチなどはおらず、経験のある人をリーダーにして走る集まり。でもずっと一人で走ってきたのですべてが新鮮でした。例えば「マラソンでは立ち止まってはいけない」と思い込んでいましたが、一定の休みを取りつつ走るなど、これまでやったことのない練習法を経験することができました。また、練習以上に良かったのが、人との出会いです。いろんな年齢、職種、そして記録も違う人たちが集まりましたが、普通に仕事をしていれば出会えないような業界や年代の人たちに会えました。そこでランニングという一つのものに取り組んで、互いにリスペクトしながら同じ目線で語れるというのは、これまでにない喜びでした。
世界が広がると、新たな欲が出てきました。いつも顔ぶれの違うメンバーで走る練習会ではなく、気が合う仲間と一緒に走りたい気持ちが強くなってきたんです。そこで、何人かでランニングクラブを結成しました。メンバーは速い人もいれば、長い距離は走れないという人もいる、男女さまざまな人たち。でも、この仲間との走りがさらに日々を豊かにしてくれました。当時は皆が独身で時間もあったので、練習会はもちろんいろんな大会にみんなで参加しました。旧国立競技場で開催されていたフライデーナイトリレーマラソンという、夜通し12時間をリレーで走り継ぐ耐久イベントなんかはよく覚えています。トラック1周のみで交代する人もいれば、深夜に眠くなってくると長く休みを取りたいので、走れるだけ走って交代するように工夫したり、しんどいけれどチームで一晩走り続ける一体感が最高でした。この大会は総合5位になったこともあります。それに、毎回走ったあとに皆で食事をしながらわいわい騒ぐのも楽しみでした。むしろこちらのほうがメインの目的になっていたかもしれません(笑)。神田に昼間から開いている居酒屋があるんですが、皇居でのランニングを終えてそこに繰り出し、皆で美味しいお酒や食事を楽しむのが週末の楽しみでした。また、ウルトラマラソンに参加するようになったのも、ここで出会った友人が勧めてくれたからです。応援に行ったときに友人がその日出会った人と長い距離を助け合って走っているのを見て、「いいなあ」と。マラソン同様に仲間の大切さを教わった気がしました。
最初は記録向上のために人と走り出しましたが、気づけば一緒に走る仲間ができていました。そして笑い合ったり、他愛のないことで盛り上がったり、仲間と一つになっていろんなことを達成することもできました。こうしたことがランニングの楽しさを倍にしてくれたと思います。また、次第に何も知らないときの行き当たりばったりの走り方ではなく、丁寧に行程全体を見据えて走れるようになり、2010年のつくばマラソンでサブ4の3時間39分52秒、2011年のつくばマラソンでついに2時間59分30秒のサブ3も達成することができました。
走ることで世界が広がり 仲間、家族、仕事と出会う
こうして「走る」という趣味ができ、そこに「仲間」が加わり、ランイベントでパートナーとも出会い、結婚。そこから「仕事」も変化しました。マラソンをはじめた当時に勤めていたアパレル関係の営業は10年以上になり、そろそろキャリアアップの必要性を感じていました。同じタイミングでマラソンをはじめて記録が上がっていき、だったらランニングを活かせる仕事がしたいと考えるようになります。趣味とプライベートを分けるよりは、趣味に関係することを仕事にする方が燃えるタイプだからです。そこで旅行用アイテムを扱う会社や、心拍計などを販売する会社など、より自分の好きなことに近づける仕事を求めて転職し、最終的に出会ったのが今の会社です。フィットしたのは社風でした。ツインズでは社員は必ず何かのマラソン大会に参加するのが決まりになっています。社長はトライアスロンやウルトラマラソンをこなす鉄人なんですが、当社は元々家電のOEMを行っていた会社なので、社員全員がスポーツ好きという訳ではありません。でも走り慣れない人もなんだかんだ大会では懸命で、こちらも力が入ります。若い頃のランニングクラブのような、一緒になって皆で目標に向かう一体感を感じられます。こうした会社に出会えて良かったと思っています。
走ることでこれまで私は多くのものを得ました。まず、走ることそのものを楽しめています。走ると脳内が整理され、集中できる感覚が大好きで、仕事のアイデアもよく浮かびます。そして仲間ができたことで走る楽しみが増え、記録も伸びていろんなことに自信がつきました。仲間がいたから「これならサブ3を目指せるよ」等、ほめてもらってどんどんレベルアップしていけたと思います。走りを通じて家族に出会ったことも奇跡ですね。仕事もプライベートも充実した現在ですが、本当にあの日、ふとテレビを見て東京マラソンに応募しなければ、こんな人生はあり得ませんでした。その東京マラソンですが、これまで5回応募して3回当選したので、なかなかの強運の持ち主ではないかと思っています。
子どもが生まれて今は少し走る機会が減っています。記録もサブ3より少し落ちていますが、育児に手がかからなくなってきたらトレーニングを重ねて、大会出場も増やしたいと思っています。再びサブ3でフルマラソンを走れるくらいにタイムを戻すのが目標ですが、仕事もランニングも楽しんでこれからも両立させていきたいと思います。
奥さま、お子さんと一緒にゴール!のポーズ。
会社で参加した大会にて梶原さん(中央)、土田さん(右)と。
プロフィール
栢 晴彦/かや はるひこ
運動経験はないところから2008年に独学でマラソンを始め、フルマラソンはサブ3、ウルトラマラソンはサブ9の記録を持つ。現在は年間5〜6つほどの大会にエントリー。日本ランニング協会認定ランニングインストラクター。株式会社ツインズで営業を担当。