【独占インタビュー】プロランナー福田穣選手『練習量は誰にも負けない。積み重ねた経験と自信が結果を引き寄せる』


2020.10.19

2020年10月より、スポリートがプロランナーの福田穣選手をサポートすることが決まりました。そこで今回は、独占インタビューを実施。福田選手のこれまでの道のりや、マラソンに対する想いをたっぷりとお届けします!

福田 穣

1990年12月31日生まれ。玉名中(熊本)→大牟田高(福岡)→国士舘大(東京)→八千代工業(埼玉)→西鉄(福岡)→NN Running Team

高校2、3年時に全国高校駅伝に出場。国士舘大では2年時に全日本大学駅伝、3年時に箱根駅伝に出場。全日本実業団駅伝には計7回出場。2016年にびわ湖毎日マラソンで初マラソンを経験。2017年北海道マラソンで3位入賞、2018年ゴールドコーストマラソンでは2時間9分52秒を記録し3位(日本人2位)をマーク。2018年福岡国際マラソンで7位に入りMGC出場権を獲得。2019年MGCでは22位。同年12月の福岡国際マラソンにてMGCファイナルチャレンジに挑戦し、オリンピック出場権は逃したものの2時間10分33秒で3位入賞(後に繰り上げで2位)を果たした。2020年8月、西鉄を退社しプロランナーに転向。世界最強のマラソン軍団『NN Running Team』への所属も決まった。

PB: ハーフ1時間2分25秒/フル2時間9分52秒
福田穣

とにかく“人より走る”ことで力をつけてきた

──福田選手が陸上競技を始めたきっかけを教えてください。

陸上競技を始めたのは中学3年生の夏休みです。僕が通っていた中学は、体育の授業で優秀な生徒が選ばれて陸上の大会に出るという制度をとっていました。僕はそれまで選ばれたことがなかったのですが、友達が選抜メンバーの一人だったんです。ある日、その友達に漫画を借りたくて練習が終わるのを待っていたら、陸上を担当していた怖い先生に声を掛けられて……無理やり練習に参加させられることになったというのが、そもそものきっかけです(笑)。初めは嫌々でしたが、僕の奥さんが長距離の選抜メンバーだったんですよ。当時から気になっていたので、練習に行けば夏休みもしゃべれるしいいかな、と思いそのまま参加することにしました。

──陸上を始めてみてどうでしたか?

最初は何もわからず走っていたのですが、一ヶ月ほど練習を続けたころに、1500mのタイムが40秒くらい縮まったんです。走れば走るほど速くなるのが楽しくなってきて、気づけば中学内で一番速くなることができました。駅伝の選手にも選ばれ、大会ではほかの強豪校のメンバーとも競ることができて。それを見た福岡県の大牟田高校に声をかけてもらい、そのまま陸上を続けることになりました。

──強豪校に進学したことでどんな変化がありましたか?

完全に“井の中の蛙”状態だったことを思い知らされましたね。周りは中学時代に全国大会を経験した人ばかり。初めはジョグにもついていけなくて、いつもぶっちぎりの最下位でした。毎日泣きそうになりながら走って……これは人生の選択を間違えたかも、と思ったほどです(笑)。チームメイトに悔しいことを言われたりもしましたね。僕は負けず嫌いなので、その悔しさを原動力にとにかく“人より走る”ことを意識してがむしゃらに練習に取り組みました。その結果、秋のレースで同級生のなかでトップになることができたんです。

高校時代はケガにも悩まされ、希望していた実業団を諦めなければならなかったのですが、子どものころから箱根駅伝に対する憧れもあったので、大学へ進学することにしました。陸上に興味がなかったころから、箱根駅伝は気づけば毎年見ていたんですよね。それまでは漠然とした憧れで、テレビの向こうの世界という感覚でしたが、大学進学を考えたとき自分のこととして意識するようになりました。

──国士舘大学時代には、3年生のとき箱根駅伝を走られましたね。憧れの舞台に立って、いかがでしたか?

とにかく高揚感がすごかったです。直前になっても、あんなにテレビで見ていた舞台をまさか自分が走ることになるなんて、信じられないような気持ちでした。それに、大学時代も“人より走る”ことを意識して練習してきた結果、箱根を走れることになったので、きちんと練習を重ねた自信があるからこそ緊張もなくて。とにかくワクワクしていました。

憧れの初フルは悔しい結果に。飛躍のきっかけは原点回帰

──その後は実業団で競技を続け、2016年にはびわ湖毎日マラソンで初フルマラソンを経験されました。フルマラソンへの挑戦を意識するようになったのはいつごろからだったのでしょうか。

2008年の別府大分毎日マラソンで優勝した足立知弥さん(旭化成)を高校時代にテレビで見てから憧れていて、いつか走ってみたいという思いは持ち続けていました。初フルでは、洗礼を受けましたね(笑)。32kmを過ぎたあたりでいきなりラップが20秒以上落ちて、そのままどんどん体が動かなくなってしまって。めちゃくちゃきつかったです。これがマラソンか……と、衝撃でした。

──初レースでは悔しい経験をされながらも、その後着実に記録を伸ばし続け、2019年にはMGCを経験されたことでも注目を集めました。ここまでの道のりで、ターニングポイントになったできごとはありますか?

2017年の北海道マラソンですかね。初めて手応えを掴めたというか。当初はフルマラソンを走る力がまだなくて、自分がレースで先頭を走るイメージがまったく持てなかったんです。そんなときに高校時代の監督に会ったら、「もっと真剣にやってみろ」と怒られたんですよね。そこで、自分には何が足りないのか、何を変える必要があるのか考えたとき、覚悟が足りないことに気付かされました。正直なところ、それまでは「なんとなくこれくらいのタイムを出せたら」とか「いつか日本代表なってみたい」という、ふわっとした思いでやっていたところがあって。「自分よりも才能ある選手たちがものすごく努力している世界で本気でトップを目指すなら、原点に立ち返ってせめて練習量だけは誰にも負けないようにしよう」と、覚悟を決めました。

そこから北海道マラソンまでの4ヶ月間の練習で4,000km走り、レース本番では3位になることができたんです。学生時代から続けてきた“人より走る”というやり方がやっぱり自分に合っていると再確認できたし、このまま努力を続ければ世界も狙えるはずだと、意識が大きく変わるきっかけになったレースでした。

──学生時代から続けてきた「ほかの選手よりもとにかくたくさん走る」というスタイルが、今では福田選手にとってポリシーのようにもなっているのですね。

そうですね。いろいろなタイプの人がいると思うので、走りすぎると逆に調子を落としてしまう人もいるとは思うのですが、僕の場合はとにかく人よりも多く走ることで結果が出てきたという経験があるので。周りからは「もっと休んだほうがいいんじゃない?」と言われることもありますが、これからもこのスタイルを続けるつもりです。それに、練習量は誰にも負けていないという自信があるので、レース本番では「今の自分はどれくらい通用するんだろう?」と、純粋にワクワクしながら走れるんですよね。余計な緊張をせず、リラックスした状態で楽しく走れています。それで自然と結果がついてくれば理想的ですし、実際に記録が伸びているという実感もあります。

何事も経験。とにかく何でもチャレンジし、可能性を広げたい

──2020年夏には西鉄を退社し、プロランナーに転向されました。

少しずつ記録を伸ばしてMGCも経験させてもらったものの、そのぶん世界レベルの選手と戦う機会も増えたことで「このままじゃ全然届かない」と実感させられたところもあって。さらに上を目指すために、自分自身であれこれ考えながら試してみたいことも出てきたし、後悔しないためにも環境を変えてチャレンジしてみたいということで、プロに転向しました。とにかくいろいろなことをやってみて、視野を広げていきたいですね。僕は昔から「思い立ったが吉日」なところがあって、変化を楽しめるタイプなんです。

プロ転向に加えて、もうひとつ大きな変化もあります。それは、世界トップクラスの選手が集まるNN Running Teamに所属することが決まったこと。今後は日本とケニアの2拠点で世界レベルの環境に身を置かせてもらいながら、自分自身の実力を伸ばしていきたいと思っています。

──ずばり、福田選手はマラソンのどんなところに魅力を感じていますか?

やっぱり、達成感ですよね。ゴールしたときの「走りきった!」という喜びは、言葉では伝えきれないくらい大きいものです。僕自身、一度経験して以降その高揚感や感動にとりつかれてしまい、マラソンに専念するようになりました。結果を出せば出すほど喜びも大きくなって来ているので、今後もさらに大きな感動を味わえるように頑張りたいと思います!

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