頂プロジェクト 町野走一監督インタビュー『ランナーのチャレンジを応援し、多くの人に元気を届けたい』


2020.9.2

今回は、スポリートでもおなじみの存在・ランニングクラブ「頂プロジェクト」の町野監督にインタビューを実施! 陸上競技を始めたきっかけや、トレーナーの道を志すようになった経緯、そして頂プロジェクトに込める思いについてお話を聞きました。

町野 走一(まちの そういち)
1978年2月6日生まれ 三重県出身
三重県立上野工業高等学校(現伊賀白鳳高校)~神奈川大学~株式会社ケッズトレーナー

上野工業高校時代にはキャプテンとして全国高校駅伝10位を経験。神奈川大学時代には2度の箱根駅伝優勝、自身は関東インカレハーフマラソンにて4位入賞を2度経験し、最終学年ではキャプテンを勤める。
大学卒業後はトレーナーとして、天満屋女子駅伝部、トヨタ自動車駅伝部、大阪ガス陸上部、日清食品グループ駅伝部、日本郵政女子駅伝部、日立女子陸上部、ユニバーサルエンターテインメント陸上部など多くの実業団チームに同行。
現在はランニングクラブ「頂(いただき)プロジェクト」の監督も務め、市民ランナーに向けた練習メニュー提供やサポートを積極的に行う。

町野走一監督が指導する『頂プロジェクト』の紹介はこちら

勝負へのこだわりと仲間の存在がモチベーションだった

──町野監督が陸上競技を始めたきっかけを教えてください!

もともと、父が三重県の上野工業高校(現・伊賀白鳳高校)の教師で、陸上部の監督をしていたんです。それで幼少期から僕もグラウンドについていくことがあって、陸上部のお兄さんたちが練習しているのを見たり、遊んでもらったりしていました。お兄さんたちに「お前も一周走ってみろ」と言われて、400メートルトラックを泣きながら走った記憶もあります(笑)。でも、そういう背景があったからといって僕自身は陸上競技をやろうと思っていたわけではなくて、小学生のころはマラソンに苦手意識を持っていたほど。短距離は得意だったのですが、長距離はタイムも順位も至って平均だったんですよね。

──ではどうしてその後陸上の道へと進むことになるのでしょう?

僕はサッカーが大好きで、中学に上がったときはサッカー部に入ろうと思っていたんです。でも体験入部に行ってみたら、先輩に「1年は入部してもしばらくは球拾いと走り込みだぞ」と言われて……。なんだかちょっと感じ悪いなあ、と思って入るのをやめました(笑)。それで何部に入ろうか迷っていたら、僕が小学校で短距離走が得意だったことを知っていた友達が、陸上部に誘ってくれたんです。

──最初は短距離をやるつもりで陸上部に入ったのですね。

そうなんです。入って数ヶ月間は短距離やリレーで試合に出ていました。でも、1年生の夏に入るころに100メートルと1500メートルのタイムトライアルをすることになって、1500で県大会優勝できそうなレベルのタイムが出て。これは短距離をやっている場合じゃない、と(笑)。きっと、成長期で身体のバランスが変わったのが良かったんでしょうね。それで長距離に転向してからは、走ると結果が出るので、どんどん楽しくなって。

──どんなところが楽しくなっていったのですか?

繰り返し練習することで少しずつでもタイムが良くなっていったり、大会で他校のライバルに勝てることがうれしかったですね。一番大きいモチベーションだったのは、仲間の存在。3年間ずっと一緒に頑張ってきたチームメイトと最後の県駅伝で優勝することができたのは、すごく良い経験でした。

──高校では、お父さんが監督を務める上野工業高校へ進学されました。

そうですね。高校では、都大路という駅伝の全国大会があって。陸上長距離をやっている子たちがみんな目標にする大会で、僕ももちろん走りたいという思いがありました。ただ、当時は父が指導していた上野工業高校が何年も連覇していたときで。三重県で都大路を目指すならそこにいくしかない、ということで、僕も上野工業高校に進学しました。もちろん父のところに行くのは気持ち的に抵抗もあったのですが……(笑)。高校では、中学のときに競い合っていた他校のライバルたちもチームメイトになって、ここでも良い仲間に恵まれました。

スポーツに生涯携わりたいという思いでトレーナーの道へ

──神奈川大学ではキャプテンを務めたそうですね。

はい。でも、僕は箱根は走ってないんですよ。というのも、寒い時期になると坐骨神経痛が出たり、コンディションを上げるのがどうしても難しくなって走れなくなるという、良くないルーティンに陥ってしまって。インカレや関東インカレでは良い記録が出ても、冬につながらないんですよね。それもあって、当時から治療院の先生や、大学の先輩でトレーナーになった方のお世話になる機会があって、トレーナーという仕事に興味を持つようになりました。その後は実業団からのお誘いもあったのですが、サポートする立場で、スポーツに生涯携わっていきたいと思い、大学卒業後は専門学校に通い、資格を取得。ケッズトレーナーに就職して、治療院で働くようになりました。

──それまで選手として走ってきた町野監督が、治療を通して市民ランナーとも関わるようになって、走ることに対する考え方に変化はありましたか?

おっしゃるとおり僕はそれまで競技として陸上をやってきていたので、タイムの向上や勝ち負けだったり、“競うこと”に面白さを感じていました。だからこそ、ただただ純粋に走ることそのものを楽しんでいる方たちと接して、すごいなと感じていました。
僕自身は競技をやめてから数年間走っていなかったのですが、みなさんが楽しそうにしているのを見て、ちょっと走ってみようかなと思えて。試しにゆっくり走ってみると、空気の流れや自然、季節を感じられて、それがすごく心地よかったんですよね。そこで初めて、走ることそのものの楽しさに気づけたともいえるかもしれません。ちょうどそのころに、頂プロジェクトの前身である「GENKI JYUKU」という会を始めて、ケッズの患者さんたちと月に1回、ランニングやトレーニングをするプログラムを行うようにもなっていました。

ランナーをサポートして、多くの人に元気を届けたい

──GENKI JYUKUと頂プロジェクトが始動したきっかけを教えてください!

走ることを通して多くの人に元気を届けられたら、という思いで始めました。スポーツをすると自分自身の心と身体が元気になりますし、頑張っている姿を通じて周りの人を元気にすることもできます。これは、僕自身がトレーナーとしてたくさんのチームに携わらせてもらったことで改めて実感してきた、走ることのすばらしさでもあります。
GENKI JYUKU発足後、ケッズの中で頂プロジェクトとしての活動を始めました。どんどん人数が増えて盛り上がって行ったのですが、逆に治療院での仕事と両立させるのが難しくなっていってしまって。どうしようかと考えていたときに、スポリートと一緒にチームを続けていこうと。そして「スポリートランニングクラブ 頂プロジェクト」として再始動することになりました。

──頂プロジェクトではどんな活動をしているのですか?

「目標達成のためのプロジェクト」をテーマに、4ヶ月を一区切りにしながらほぼパーソナルに近いかたちでメニューを組んでいます。そのうえで、定期的に練習会も開催しています。やはり大会を目標にするとなると、ある程度スピード練習なども必要になってきます。でも、きつい練習ほど一人で黙々とやるのは大変なので、モチベーションを高め合う場としても練習会を活用してもらえたらと考えています。
僕自身も学生時代は、きついだのああだこうだ言いながらも仲間と一緒に頑張るのがすごく楽しかったので、練習会でみなさんがワイワイ励まし合いながら頑張っている姿に元気をもらっています!

──監督としてやりがいを感じるのはどんなときですか?

やはり結果がよかったときですね。会員さんが目標を達成できたときに、「町野先生ありがとう」と言ってもらえるのが一番のよろこびです。
僕がみなさんをサポートするうえで心がけているのが、できるようになることによる“プラス”をお伝えすること。きれいなフォームで走ればもっとラクに楽しく走れるよ、ラクに走れたらその分タイムも上がるよ…というように、僕の経験をもとにお伝えできることを通じて、今後もさらにみなさんに楽しく走ってもらえるようになれたらと思っています。

──最後に、頂プロジェクトのこれからについてイメージされていることを聞かせてください!

『目標達成のためのプロジェクト』というテーマが軸にあるので、「速く走りたい」「きれいなフォームを身につけたい」など、何か目標を持ちながら走ることを楽しんでいる人に参加してもらえたらと思っています。また、会員さんの雰囲気を見ていると「ここに来ることで元気になる」という方がたくさんいると感じているので、仲間に元気をもらってモチベーションを高めたいという人にもぜひ参加してもらえたらうれしいです。
レベルを問わず、「チャレンジしたい」と思っている人を今後もサポートしていけたらと思っています。今後は練習メニューの提供方法などをさらに工夫して、頂プロジェクトを全国のランナーのみなさんに広げていきたい。そして、より大きな元気を作っていけるようになりたいですね。

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